楽しい100歳。

人間はだれしも歳をとる、
さてどうやって歳を重ねよう。

2018年3月8日、東京、紀尾井ホール。
杵屋響泉(きねやきょうせん)さん104歳のコンサートが始まった。

響泉さんは五代目杵屋勘五郎さんの一人娘として生まれ、104歳をむかえた今も現役の、長唄三味線奏者。偉大な作曲家であった亡き父が曲に込めた想いを、ひとりでも多くの人に伝えたい。その一心で舞台に臨んだ響泉さんの凛とした姿は、いくつになっても人生は楽しめる。そう語りかけているようでした。

これからの長寿社会。どうすれば、精神と肉体のみずみずしさを保ったまま、主体的に生きていけるのか。それは、私たち富士フイルムの大きなテーマでもあります。
私たちが培ってきた写真フィルムの技術は、実はヘルスケアの領域でも活躍しています。予防、診断、治療の3本の柱で、「楽しい100歳」の実現に挑戦していきます。そう、この響泉さんのような人生を目指して。

主な出演者

杵屋響泉

大正3年(1914年)−

東京都築地生まれ。2018年6月現在、数え年で104歳となる現役最高齢の長唄三味線演奏家。五代目杵屋勘五郎の一人娘として生まれる。もの心つくと父親から長唄の手ほどきを受けた。幼少期に、病気療養のため小田原へ転居。90余年、後進の育成に尽力。今なお現役で多数の演奏会に出演。2005年に長唄協会より永年功労者として表彰され、国立劇場にて「賤の芋環(しずのおだまき)」を演奏。2013年には、100歳の記念の演奏会『百乃壽(もものことぶき)』を開催。父の命日である2016年3月24日には、「五代目杵屋勘五郎追善百年祭演奏会」を主催。2014年、小田原市民功労賞を受賞。2017年、重要無形文化財「長唄」の総合認定保持者として認定。

五代目杵屋勘五郎

明治8年(1875年)
−大正6年(1917年)

近代を代表する長唄三味線方であり作曲家。杵屋響泉の父親。
父は十二代目杵屋六左衛門、母、兄、ともに三味線演奏家。長唄創成期から続く家柄に生まれ、17歳で二代目杵屋栄蔵を襲名。十三代目杵屋喜三郎を経て、27歳のときに五代目杵屋勘五郎の名跡を継ぐ。
歌舞伎座囃子方取締り、東京音楽学校調査掛を歴任。
情緒豊かな演奏と、力強い撥捌きで人気を博す一方、「春秋」「島の千歳」「多摩川」等、200余りの作曲を手掛ける。新しい長唄表現に取り組み、今なお新鮮に響く。現代においても多くの演奏家に好まれ、数多く演奏されている。1917年、築地にて永逝。享年43歳。

長唄とは

長唄は、唄・三味線・鳴物からなる三味線音楽の一つである。
1550年頃に大陸から三味線が伝来し、独自の進化を遂げ、1700年頃より歌舞伎とともに発展した。
芝居の風景や台詞、心理描写、効果音、舞踊の伴奏など、多くの場面で登場するようになる。長唄は三味線音楽の中でも「唄物(うたもの)」と言われ、あらゆる芸風が混ぜ合わさったものであり、旋律やリズムが面白く、非常に叙情的に表現されている。

杵屋響泉の魅力

男性でも敵わない撥(ばち)さばき。
それも104歳で。

八代目 芳村伊十郎
(長唄芳村派家元/長唄協会 会長)

(長唄は)指揮者のいない演奏でしょ?
だから揃えるというのはとっても大変ですよね。
それに対して司令塔になって、ふっと息をくれる。

福原洋子 (横笛奏者)

音色がはっきり、すっきりしている。
あそこまで歳をとって三味線を弾けるのは素敵。

十三代目 杵屋六三郎 (長唄池之端派家元)

100歳まで力を落とさないでやれるということは、
その方も幸せだけども、それを聴いている周りの人たちの力になる。

十五代目 杵屋喜三郎
(長唄協会 名誉会長/人間国宝)

そこらのギタリストよりよっぽどロック。

大原久澄 (シナリオライター)

2015年の4月に右手首を骨折さなった際、とにかく三味線を弾きたい、という情熱でリハビリを頑張って。すごい回復力で、実際2ヶ月後に復帰されました。

大成健介 (整形外科医)

時間が経ち、いらないものが整理されて、
必要なものだけが綺麗に残っている。

近藤泰嘉 (飛不動 住職)

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